第8話 / 全71話
第8話
その頃、朝廷の片隅では。すでに顔色を失っている者たちがいた。
戸部の左侍郎が、周囲を警戒しながら小声で言う。
「……太子殿下、最近少し調べ方が細かすぎないか?」
工部侍郎がゆっくりとうなずく。
「確かに……」
礼部の官吏は青ざめた顔で続けた。
「先日は突然、私の故郷を聞かれました。」
「昨日なんて……家族は何人いるのかまで……」
三人は顔を見合わせる。話せば話すほど、不安が膨らんでいく。なぜなら。彼らは気づいてしまったのだ。最近の太子殿下は、どう考えても普通ではない。
普通の皇族が地方を視察するとき。見るのは、政績。税収。民の暮らし。しかし――太子殿下が視察する場所は、なぜか違った。
「今年の野菜の値段はいくらだ?」
「豚肉はいくらで売られている?」
「米一石の価格は?」
挙げ句の果てには……
「卵一個はいくらする?」
そこまで聞いてくる。いや、そこを見る皇族がいるのか?
さらに。大臣の屋敷へ訪問した時も普通ではなかった。他の皇族なら、「国政について」「辺境の情勢について」「天下の行く末について」話すはずだ。なのに太子殿下は――
「ご子息は何歳ですか?」
「奥方はどちらのご出身ですか?」
「ご家族の中に、変わった夢を見る人はいませんか?」
そんなことばかり聞いてくる。……怪しい。あまりにも怪しすぎる。
やがて、ある噂が朝廷内でひそかに広がり始めた。太子殿下は……誰かを探している。しかも。徹底的に。深く。逃げ場がないほどに。
その頃、私は東宮で一人、候補者の一覧を整理していた。紙はすでに三枚目に突入している。しかし。条件に当てはまる者は、誰一人いなかった。
「……」
私は机に突っ伏した。まさか。本当に見つからないとは。
「ねえ、息子」
隣で遊んでいた息子に声をかける。
「本当に分からないの?」
息子は顔を上げ、しばらく真剣に考えた。そして首を横に振る。
「分からない」
「父さんの匂い、しない」
「……」
私は言葉を失った。
「じゃあ、どうして私のことは分かったの?」
すると息子は当たり前のように答えた。
「だって、ママはいい匂いするから」
「……」
私は決めた。五歳児に論理を求めるのは間違いだ。
その時。突然、外から声が響いた。
「陛下よりご下賜品が届きました――!」
私は顔を上げる。
「……皇帝から?」
すぐに、何十人もの宦官が東宮へ入ってきた。金銀財宝。貴重な書画。珍しい宝物。次から次へと運び込まれていく。その数は尋常ではなかった。まるで東宮そのものを宝物庫に変えるように。搬入は、なんと半刻以上続いた。
最後に福海公公が、にこやかな笑顔で私の前へ歩いてくる。
「殿下」
「陛下よりお言葉を預かっております」
「最近、随分とご苦労されているようだから……」
「これらを殿下に差し上げる、と」
私は部屋いっぱいの宝物を見る。
「……遊ぶ?」
これ。遊ぶものなのか?
皆が去った後。息子はすぐに箱の中へ飛び込んだ。まるで宝の山を見つけた小さな子供のように、目を輝かせている。
「ママ!」
「ママ!」
そして突然、顔を上げた。
「皇帝って、ママのこと好きなの?」
「……」
私は飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「変なこと言わないの」
「陛下は私の父親でしょう」
しかし息子は真剣な顔で首を振った。
「違う」
「そういう好きじゃない」
私は眉をひそめる。
「じゃあ、どういう好き?」
息子は少し考えて。テレビを見て覚えたような口調で言った。
「恋人を見る時の好き」
「……」
私は沈黙した。五歳児。一体、どんな番組を見ていたんだ。
その夜。私はなかなか眠れなかった。何度も思い出す。最近の皇帝の視線。意味不明なほどの贈り物。そして、息子の言葉。
「……まさか」
私は寝返りを打つ。
「そんなわけ……」
そう思いながらも。なぜか胸の奥に、小さな違和感が残った。私は何か大切なことを……見落としている気がする。
同じ頃。御書房。皇帝は、一冊の分厚い書類を手にしていた。そこにはこう書かれている。《太子三ヶ月間行動記録》
皇帝は、一枚一枚ゆっくりと読み進める。太子が朝廷で見せた奇妙な行動。官員たちへの質問。そして、誰にも理解されなかった言葉。読み終えた瞬間。皇帝は小さく笑った。その瞳には、隠しきれないほどの優しさが浮かんでいた。
隣に控える福海公公は、冷や汗を流している。陛下は一体……なぜ太子殿下の行動記録を見て、そんな嬉しそうな顔をされるのか。
皇帝はゆっくり顔を上げた。視線の先には、東宮。そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……やっぱり変わっていない」
「何一つ」
その声には、帝王の威厳ではなく。長い間、愛する人を探し続けた者だけが持つ温度があった。
「やっと見つけた」
「俺の……妻」
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