第4話 / 全71話
第4話
御書房を出た瞬間。ようやく、背中を伝っていた冷たい汗が少しずつ引いていった。
先ほどの皇帝の問いかけ。あれは決して、ただの親としての心配などではなかった。
言葉で追及することもない。決定的な証拠を突きつけることもしない。ただ静かに観察し、少しずつ圧をかけてくる。その距離感が、かえって恐ろしかった。
下手に怒鳴られるよりも。何も言われないほうが、よほど精神を削られる。
俺は完全に気を引き締め直した。もう、のんびり構えている場合ではない。一刻も早くシステムの任務を終わらせなければならない。
そして――この世界のどこかにいるはずの、俺の夫を見つける。
そうしなければ。皇帝の疑念が確信に変わった時。俺と、五歳の息子は。この深宮の中で、いつか必ず足元をすくわれる。
息子が蘇貴妃になってからというもの。俺たちがここまで無事に過ごせているのは、後宮の妃嬪たちのおかげだった。
皇帝は最初の頃こそ、新鮮さもあったのだろう。何度か蘇貴妃を召そうとした。しかし。そのたびに。なぜか絶妙なタイミングで事件が起きた。
一度目。侍寝の命が下されたその夜。淑妃が突然倒れた。後宮中の人手が看病に駆り出され、その話は自然と流れた。
二度目。前日の夜。今度は賢妃が突然腹痛を訴え、大騒ぎになった。
三度目。もはや偶然とは思えない。冷宮で火事が発生。夜通し消火に追われ、蘇貴妃を召す話など誰も口にしなくなった。
三度の危機。三度とも。完璧すぎるほど正確なタイミングだった。
外から見れば。「天が味方した」そう思うだろう。だが。俺には分かっている。これは天の采配なんかじゃない。
後宮の女たちが。俺と蘇貴妃――つまり、俺たちの「禁断の恋」を守るために、全力で動いているだけだ。
正直。彼女たちには何度も助けられた。彼女たちの徹底した庇護があったからこそ。俺は目立たず行動できた。息子の異常を隠しながら。この世界に来ているはずの夫を探すこともできた。そして。皇帝に一切の隙を見せずに済んだ。
だが。いつまでも逃げ続けられるわけではない。皇帝の疑念は、もはや誰の目にも明らかだった。このまま受け身で隠れ続ければ。いつか必ず破綻する。
そこで。俺と小満は密かに役割を分担した。
小満は後宮に残る。目的は一つ。太后を味方につけること。
後宮で本当に皇帝を止められる存在。そして。俺たちを守れる存在。それは、太后しかいない。
幸いなことに。太后はこの後宮一の「推し活勢」だった。当然のように、蘇貴妃への身内びいきフィルターがかかっている。
小満はまだ五歳。甘えるのも上手い。空気を読むのも上手い。毎日欠かさず太后のもとへ通い、話し相手になり、機嫌を取る。
その結果。今では後宮で蘇貴妃の悪口を言う者がいれば――俺が何かする前に。太后自らが黙らせるようになっていた。
一方。俺は前朝を担当する。目的は――夫探しだ。
俺は、俺たち一家三人がこの世界へ転生した法則について考えた。俺が皇太子になった。息子が蘇貴妃になった。ならば。夫もおそらく、皇室と何らかの関係があるはずだ。
例えば。皇族の親族。朝廷の重臣。あるいは――最悪の場合。どこかの名家の使用人や侍女になっている可能性もある。
俺は朝廷の人物相関図を作った。それも、細部まで徹底的に。そして。さまざまな理由をつけて、大臣たちの屋敷を訪問した。
ある時は。
「親交を深めるため」
またある時は。
「庭園を拝見したい」
さらに。
「書画を鑑賞したい」
そんな理由を並べながら。俺はずっと観察していた。
表情。話し方。仕草。物事への向き合い方。さらには。本人も気づかないような小さな癖。口癖。何気ない動作。
現代人の生活習慣や考え方は。どれだけ取り繕っても、必ずどこかに綻びが出る。
もし。この中に俺の夫がいるのなら。俺は必ず見つけ出してみせる。
……しかし。探せば探すほど。俺の胸に浮かぶ疑問は、どんどん大きくなっていった。
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